中谷仁

中谷仁
上達屋ネーム:
ジャガ
本名:
中谷 仁 (なかたに じん)
出身地:
和歌山県和歌山市
誕生年度:
1979年度
学歴・野球歴:
智辯学園和歌山高等学校
阪神タイガース (1998 - 2005)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2006 - 2011)
読売ジャイアンツ (2012)
ポジション:
捕手


和歌山県和歌山市出身。小学校低学年のころ野球を始める。
中学校時代には、ヤクルトスワローズの監督であった野村克也、古田敦也の影響で捕手の面白さにはまっていった。
手塚一志との出会いもこの頃。当時「ベースボール・クリニック」という雑誌に載っていた手塚の連載を愛読。
スポーツ科学を活用した野球上達アプローチにも興味の持つ。

智辯学園和歌山高校では、正捕手として甲子園大会に3度出場。
1996年春の甲子園で準優勝。1997年夏の甲子園では主将としてチームを引っ張り、優勝に貢献した。同大会では打率.563を記録。高校通算21本塁打を記録。

1997年秋のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受けて入団。
2002年、プロ入り5年目にして初の一軍昇格、初安打・初打点を記録した。
打撃成績こそ振るわなかったものの、リード面での評価は高く、また安定したフィールディングを見せた中谷に期待を寄せる向きもあった。
このとき、2002〜03年タイガースのバッティングパフォーマンスを引き上げる仕事を務めていた手塚本人と初対面。
そのオフから、上達屋東京道場に通いバッティング技能向上に勤しむ。

2005年、金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。
2009年6月21日、対阪神戦に代打で出場し、能見篤史から12年目のプロ初本塁打となる2ランを放つ。守備機会を与えられ徐々に信頼を得て出場機会を増やしていった。後半戦は、主戦捕手だった嶋に代わり中谷が起用されるようになった。当時監督の野村克也が「学校の成績と野球頭脳は別」と説き、中谷の野球頭脳を高評価した。
9月26日の対西武戦(西武ドーム)で岸孝之から7番セギノール、8番リンデン、9番中谷の球団初となる3者連続本塁打を記録。このシーズンは自己最多の55試合に出場し、楽天初の2位決定、そしてクライマックスシリーズ進出に貢献。クライマックスシリーズでは、4試合でスタメンマスクを被り、打率は.333だった。

2011年は、2003年以来再び星野仙一のもとでプレーすることとなり、球界初のパフォーマンス・コーディネーターに就任した手塚とも再会。約10年間の間に深化したクオ・メソッドに感銘を受ける。

2011年11月自由契約公示され、合同トライアウトを受験。その日の帰路、守備力を見込んだ読売ジャイアンツ(巨人)からオファーを受け入団。
2012年、出場機会は5試合にとどまった。二軍では高卒ルーキー、今村信貴のノーヒットノーランをアシストするなど、若手育成面での評価を受けた。プロ15年目にしてはじめての優勝のビール掛け参加を経て、10月4日、現役引退を表明。ナインとの別れの際、監督の原辰徳は「中谷という野球人は非常に印象深い。彼がスコアブックに残らない面で残していったものを我々は受け継いでいかねばならない」と労った。

2013年、巨人のブルペン捕手となり、第3回WBCには日本代表のブルペン捕手として参加。

■これまで球を受けてきた投手たち
  田中将大、藤川球児、能見篤史、内海哲也、杉内俊哉投手など阪神、楽天、巨人、日本代表の投手陣

上手くなりたいと本気で考えている選手たちに
“一流とそうでない者の間”にはホンの少しの差しかないことと、
持っている能力を最大限に引き出すための質の高い上達メソッドを
伝え広めていくのが私のこれからの使命だと感じています。


2月6日付けのデイリースポーツにてジャガの記事が掲載されました。
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