ジュニアスポーツ指導者講習会

『操育のススメ』

--理に適ったカラダの操り方を育む--

中山貴志くん

2018年9月5日/12日に、府中市生涯学習センターにて

ジュニアスポーツ指導者講習会『操育のススメ』--理に適ったカラダの操り方を育む--

というスポーツ指導者対象の講習会の講師を手塚一志が担当しました。その参加者の方の一人から、感想をメールで送っていただきました。宮下哲朗さん。ラグビートップリーグの東芝ブレイブルーパスで活躍した元ラガーの方です。

宮下さんの許可をいただき、そのメールの文章を公開いたします。


手塚さん

先週、昨日、と貴重な講習に参加させていただき本当にありがとうございました。

ボディーとメンタルは一対であることを改めて確信させていただく時間となりました。身体が心地よければ気持ちも解放的になり自由な発想が生まれイキイキワクワクしてくる。今回の講習はすべての内容から一貫性が感じられたのでいただいた内容を深く腑に落とすことができました。私なりの感想を綴り送ります。

■「ガンバル」ことと「覚悟」

ガンバル、ことと覚悟は同意に捉えられがち(私もそう思っていました)ですが、それが今回、私なりにはっきりと感じられたことがありました。

「覚悟を決める」とは尻込みしてしまうほどハードルの高いものに挑まなければならない(挑まされる)イメージ、でしたが、実は「覚悟を決める」とは「夢中になる」に近い感覚で、「覚悟」を決めてしまえばこれほど愉しく幸せなものはない・・・のではないか? ということでした。

それは、今回の映像に映っていた、上達屋さんに訪れトレーニングしている多くの選手たちの顔つき、全身から溢れ出る雰囲気、がそれを物語りそう感じさせてくれたのだと思います。

「夢中になる」とはもう「そうなっている」つまり「覚悟を決めた」状態なのかと感じました。

結果の見えない努力はしんどく続かないものですが、明らかに結果の約束された努力は愉しくて仕方がないですもんね。これをこれだけすれば普通に成果が上がる! という明確なイメージ、動機がある状態を「夢中」というのかもしれません。

■骨盤の動きに連動して肩関節がかってに回旋される

この動きの心地よさは病みつきになります。痛快な気分になりました。人間本来の心地よい動きを、学んでしまった? 知ってしまった?ところがほとんど人たちは、それまでの常識や 思い込みなどにより、その万人に通ずる運動連鎖を、自ら妨げる行為を選択し続けている。

指導という名目でむやみに個々の表向きのフォームや技術を標準化していくことにより、結果的に個々の個性や感性までもを失わせてしまっている可能性と、その裏で眠っている果てしない伸びしろを感じました。 人体の法則性(人間の習性)という部分を”整えてあげるだけ”で個性はより育まれ発揮されていく。

このことは、今回のメンタル面講座に於きましても一貫して共通されていました。

私にとって手塚さんの話の興味深さはまさにこの部分にあります。技術だけでなく、体力だけでなく、心も含め、心技一体となった状態で、人体が有する600万年間を生き延びてきた法則は、ヒトの行為に関わるすべてのことに当てはまる(転用できる)ことも併せて感じられ、この今触れているテーマの深遠性と視野の拡がりとを同時に感じるのです。

今回紹介していただいた「操育」という考え方が、スポーツ種目の壁どころか、人類が行うすべての運動の調律行為にまで及んでいる、そう感じました。

■「枯渇」させる・・・と「やる気」が増大する?

このことにつきましては、私自身の経験とドンピシャでマッチしてしまいましたので衝撃的でした。

生まれてこの方、私のやることに対し一切注文してこなかった私の両親が、唯一植え付けたがった想い。

「危ないからラグビーだけはやらないで!」

この両親の植え付けが、逆に作用し、私の中で”枯渇”を生み「ラグビーがやりたい!」という切望感が膨れ上がってきたのだと、引退して10年が過ぎたいま、手塚さんの話を聴いていて気づいたのです。

もし、あの植え付けがなかったら、こうやってタックラーになること、いやそれ以前にラグビーさえもやっていなかった可能性をリアルに感じながら、実は両親(ラグビーの神様)に導かれたことを実感し深い感謝に包まれました。

宮下哲朗

「枯渇させる」とは、すなわち”タメ”を作ること、なのでしょうか?

今回ご教示いただいた身体操作からも「”タメ”を作って抜いて流す」といった一連の流れを感じました。この動きの連続からは、身体操作のみならず、心の活動においても、無尽蔵に発揮され続けるフリーエネルギーを連想させられます。

今回紹介されたアスリートたちの成功までのストーリーには、共通で「成功への枯渇感」による”タメ”があったように感じます。何をやっても成果が出ない。あの良かった頃の感覚が戻らない。この悩み抜いて出口の見えない時間が、その後の飛躍の”タメ”として必要な感じがするのです。いよいよ、にっちもさっちもいかなくなり、覚悟を決め上達屋に通いはじめます。操育を重ね習慣化し、夢中になりながら続けているうちに、気が付けばかってに成果が付いて来る。

「人間、ムダなことは一つも無し」

上達屋の「操育」とは、この暗く苦しい”タメ”の後ほど効果が出やすいのかと?理に適ったヒトの営みの精度を、磨き調律するなかで昇華させていくアスリートたちの心のストーリーが、今回の身体操作の概念と一致していることもとても興味深かったです。

■指導ってなに?

手塚さんの理論(原理)、は高いところから飛び降りたら落ちる、というくらいシンプルな物理、宇宙の真理、法則? のような有無を言わさない絶対的なところがベースにあるので、人が後付したような人工的な装飾が介在していない神聖さ純粋を感じずにはいられません。

むしろ、人が介在(良かれと想い手を加えると)すると矛盾が生まれてしまう、というのがこの世界の現状のかもしれません。

ところが、「指導」とは人が介在せざる得ないわけですから、一見相反することのようですが、そこと闘うわけではなく調和していく、というその姿勢からも神聖さを感じています。

宮下哲朗

■リスペクトの重ね合い

手塚さんは、アスリート本人が抱いている身体操作のイメージと、実際のパフォーマンスの現象は同じでなくてもいい・・・と強調されていました。

自身がそのようにしていると思い込んでいる感覚(主観)と実際にそのようになっている、という状態(客観)を一致させていくことにより人は心身ともに目覚めていく気がします。ただ、そのためには、映像から客観的に見えている動作をなぞってはならない。慣性の力はその映像から見えないため、それを相殺(差し引き)して、その人にピッタリの身体操作イメージを調律する必要があるのだと。またそれが、パフォーマンスコーディネーターという職人の仕事なのだと。

それは自分がやりたいこと(主観)と、周りから求められていること(客観)を一致させていく、という生き方にも共通するような気がします。そのためには、相殺という行為が必要で、それを自分ひとりの力でがんばって成し遂げる必要はない。

人の力を借りればいい。人の知恵を借りればいい。そして、今度は次の人にその力と知恵を使ってあげればたくさんの人が成果を得る充実感に出会える。

このことは競技生活だけにかぎらず、多くの人と関わり合いながら、おのおのが互いの心身を「本来あるべき姿」に還していくことの重要性を感じました。

これぞまさに「one for all、all for one」。

手塚さんは、たくさんのアスリートの手助けをし成果をプレゼントしているにも関わらず、その言葉や態度からこちらに伝わってくるのは、むしろそのアスリートたちへの”敬いの心”でした。

「選手が苦しんで苦しんで、やっとの想いで上達屋を見つけてくれ、覚悟を決めて通い続けてくれた。うちには極めて高い精度で成果を出してもらえるメソッドを用意している。ただそれが成功するかどうかは、すべてはその選手に委ねられる。そのつらく苦しい痛みや情けない想いから逃げることなく、もう一度挑むことを選択し、うちを選んでくれた。そんな彼ら彼女らと真剣勝負をできる人生を誇りに想います」と。

私も今回をきっかけに、さらに身体のこと精神のことを探求していきたいと思っております。これからも応援させていただいていますし今後ともよろしくお願いいたします。この度は本当にありがとうございました。

東芝 宮下哲朗


宮下哲朗

宮下 哲朗 氏ラグビー元日本代表

〈プロフィール〉

1976年4月8日生まれ。東京都出身。神奈川県立希望ヶ丘高校卒業後、関東学院大学に入学。ラグビー部に所属し、97 年度の大学選手権で初優勝、98年度の大学選手権で2 連覇を達成する。トップリーグ東芝府中ブレイブルーパスのメンバーとなり、ラグビー選手として活躍する。ポジションはフランカー。ラグビー元日本代表。タックルのスペシャリストとして、チームの勝利のために身体を張り続けた、まさに「one for all」を体現し続けた武骨派ラガー。