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東京発キレメン太陽ヘイ(大阪工房キャプテン)ヘイ
上達屋ネーム
 ヘイ
本名
 山川 翔平(やまかわ しょうへい)
担当種目
 全メニュー(大阪工房キャプテン)
PC歴
 2006年8月〜
出身地
 東京都
誕生年度
 1986年度
学歴・野球歴
 國學院久我山高校→日本大学
ポジション
 捕手・三塁手

はじめまして。
上達屋のヘイです。
僕はこれまで、
東京で6年、大阪で3年、
上達屋パフォーマンス・コーディネーターとして携わってきました。(2015年9月現在)
この9年間でのコーディネート時間は、約12,250時間(24,500コマ)です。

僕が、この仕事を続けてきて強く感じたこと。
それは、

「技能上達には、楽しさと難しさが共存していること」
「反射的で、本能的で、動物的なパフォーマンスこそがやはりホンモノ」
「選手との良質なカウンセリングの重要性」
「本番での勝負強さには、心技一体型が不可欠」
「善い努力と継続は、必ず成果を生み出す」

そして、

「誰しも【痛み・悩み・苦しみ】に耐えながら、もがき続けている」こと。

ご安心ください。

あなたが上達屋の門を叩いたその瞬間から、
幸せになれるチャンスを手にすることができます。

心よりお待ちしております。

ヘイ


魅せる頭脳派ジャガシャープ
上達屋ネーム
 ジャガ
本名  中谷 仁(なかたに じん)
担当種目
 全メニュー
PC歴
 2014年1月〜
出身地
 和歌山県
誕生年度
 1979年度
学歴・野球歴
 智辯和歌山高校→阪神タイガース→
 楽天イーグルス→ 読売ジャイアンツ
ポジション
 捕手

甲子園優勝投手・日本代表・そしてメジャーなど100人の投手の女房役を全うし、
名将・野村克也監督がその「野球頭脳」を高く評価したプロフェッショナル野球人。

中谷仁 (なかたに じん)
出身地:和歌山県和歌山市 
生年月日:1979年5月5日(34歳) 
身長・体重:183 cm 95 kg  右投右打 
ポジション:捕手 
プロ入り:1997年 阪神タイガース ドラフト1位 
初出場:2002年8月11日 〜 最終出場 2012年7月31日 
 
智辯学園和歌山高等学校  
阪神タイガース (1998 - 2005)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2006 - 2011)
読売ジャイアンツ (2012)
 
和歌山県和歌山市出身。小学校低学年のころ野球を始める。
中学校時代には、ヤクルトスワローズの監督であった野村克也、古田敦也の影響で捕手の面白さにはまっていった。
手塚一志との出会いもこの頃。当時「ベースボール・クリニック」という雑誌に載っていた手塚の連載を愛読。スポーツ科学を活用した野球上達アプローチにも興味の持つ。

智辯学園和歌山高校では、正捕手として甲子園大会に3度出場。
1996年春の甲子園で準優勝。1997年夏の甲子園では主将としてチームを引っ張り、優勝に貢献した。同大会では打率.563を記録。高校通算21本塁打を記録。

1997年秋のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受けて入団。
2002年、プロ入り5年目にして初の一軍昇格、初安打・初打点を記録した。
打撃成績こそ振るわなかったものの、リード面での評価は高く、また安定したフィールディングを見せた中谷に期待を寄せる向きもあった。
このとき、2002〜03年タイガースのバッティングパフォーマンスを引き上げる仕事を務めていた手塚本人と初対面。そのオフから、上達屋東京道場に通いバッティング技能向上に勤しむ。

2005年、金銭トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。
2009年6月21日、対阪神戦に代打で出場し、能見篤史から12年目のプロ初本塁打となる2ランを放つ。守備機会を与えられ徐々に信頼を得て出場機会を増やしていった。後半戦は、主戦捕手だった嶋に代わり中谷が起用されるようになった。当時監督の野村克也が「学校の成績と野球頭脳は別」と説き、中谷の野球頭脳を高評価した。
9月26日の対西武戦(西武ドーム)で岸孝之から7番セギノール、8番リンデン、9番中谷の球団初となる3者連続本塁打を記録。このシーズンは自己最多の55試合に出場し、楽天初の2位決定、そしてクライマックスシリーズ進出に貢献。クライマックスシリーズでは、4試合でスタメンマスクを被り、打率は.333だった。

2011年は、2003年以来再び星野仙一のもとでプレーすることとなり、球界初のパフォーマンス・コーディネーターに就任した手塚とも再会。約10年間の間に深化したクオ・メソッドに感銘を受ける。

2011年11月自由契約公示され、合同トライアウトを受験。その日の帰路、守備力を見込んだ読売ジャイアンツ(巨人)からオファーを受け入団。
2012年、出場機会は5試合にとどまった。二軍では高卒ルーキー、今村信貴のノーヒットノーランをアシストするなど、若手育成面での評価を受けた。プロ15年目にしてはじめての優勝のビール掛け参加を経て、10月4日、現役引退を表明。ナインとの別れの際、監督の原辰徳は「中谷という野球人は非常に印象深い。彼がスコアブックに残らない面で残していったものを我々は受け継いでいかねばならない」と労った。

2013年、巨人のブルペン捕手となり、第3回WBCには日本代表のブルペン捕手として参加。

上手くなりたいと本気で考えている選手たちに
“一流とそうでない者の間”にはホンの少しの差しかないことと、
持っている能力を最大限に引き出すための質の高い上達メソッドを
伝え広めていくのが私のこれからの使命だと感じています。 

 





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